その他(旅行など)

その他(旅行など) · 11月 14日, 2018年
日 時:2018年11月12日(月)17:00~19:30 場 所:カスケード銀座店(中央区銀座6丁目ウォールビルB2F) 出席者:17名(男子13名、中田、濤崎、和田、皆合、立石、柴田、植田、塚本、小西、竹長、 佐々木、植村、萩谷: 女子4名、村田、波多野,王寺、清田) すべて東京地区の会員                記...
その他(旅行など) · 10月 01日, 2014年
去る6月22日、私の下の娘夫婦に長男が誕生し、私にもやっと初孫ができた。名前は“蛍”。生まれた時は3.6kg と今時やや大きめだが、とにかく元気がよく成長も早い。3か月後の今はすでに8kgに迫る状態である。娘も母親業に懸命で今のところ病気もなく順調で、うれしい限りである。...
その他(旅行など) · 7月 01日, 2006年
ワールドカップに熱狂した日本人も、日本チームが早々に敗退したためすっかり熱が冷めて敗因分析と次期監督探しに焦点が移ったようだが、サッカーの最高の興奮を味わえるのはこれからの決勝リーグだと思う。それにしても西ヨーロッパと南米の強さは素晴らしい。今の日本やアジア、アフリカなどではとても足元にも及ばない。やはり上滑りの人気だけではだめで、歴史の差としかいいようがない。 歴史と言えば、6月に友人3人と会津若松へ旅行した。一人は曽祖父が戊辰戦争で活躍した常盤盛敦の子孫、もう一人は房州大名の家臣で蛤御門の戦いで長州を追い出した幕府軍戦士の5代目、そして私はもとより長州商人の末裔だから、130年前なら敵同士ではある。 わたしが現役の時に、こうした話題でたまに取引を嫌がる人がいたが、歴史を紐解けば、関が原の合戦の後、負け組の旗頭だった長州は徳川に厳しい処罰を受け、その恨みは筆舌に尽くしがたいものがあったと思う。したがって幕末に京都守護職の職務を引受け忠実にまっとうした松平容保の会津藩は、長州側から見れば許しがたい江戸幕府の一の子分と言うことになろうか。だから外国の侵略を防ぐために江戸城開場、徳川慶喜謹慎などで双方は手打をしたものの、多少の血を見なければ治まらないのが内戦の常識であれば、戊辰戦争と言う形で奥羽列藩同盟の首班である会津を徹底的に粉砕し、感情的とも思える戦後処理を行ったのも長州側からすればうなずけるものがある。逆の立場からすれば、この仕打ちは子々孫々まで忘れがたい恨みであろう。 旅行の準備段階から、そうしたおさらいをかなりして、長州の末裔としてはどきどきしながら足を踏み入れたわけだが、飯盛山の白虎隊などの墓、美しい鶴ヶ城、江戸時代の豪壮な武家屋敷など日本の中世封建制度の最高傑作とも思える数々の建造物と、武家社会のシステムの中で武家の一族郎党が見せた忠誠心、生き様を賛美する展示物が街中の随所に見られ、近隣や遠方の小中学生の修学旅行者が数多く来ていた。しかし幕末という時代では最高の生き方かも知れないが、現代の社会環境や民主教育の観点からすれば、いかがなものかと思われることも多々あるようだ。 それにしても会津市内の街並みが活気に満ちているのには驚いた。我が下関の凋落振りを目の当たりにするにつけ、歴史の流れの皮肉さを禁じえない。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われるが、「おごれるものは久しからず」という言葉がここでは一番相応しいようだ。母成峠の戊辰戦争の碑が東軍も西軍も一様に戦死者の霊を祀ることになった現在、会津の人たちもぼつぼつ怨念も和らげて欲しいものだとあらためて思った。
その他(旅行など) · 4月 01日, 2004年
考えるときが来た。  春は自然が黄色から桃色更に緑色に変化する1年でもっとも良い季節だとNHKが報じていたが、この年齢になるととても共鳴できる季節感ではある。...
その他(旅行など) · 7月 18日, 2003年
東京旭陵38期のHPを立ち上げて1年が過ぎ、新しい夏が巡って来ました。夏の暑いのは当たり前と言ってしまえばそれまでですが、現実はクーラーの効いた部屋で快適に過ごしている人が殆どでしょう。...
その他(旅行など) · 10月 19日, 2002年
前線が北の方から南下してきました。春の桜前線とともに日本人にとって、季節の移り変わりを実感するビッグイベントです。...