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<No.52>盛夏の北海道の旅

  • 去る6月22日、私の下の娘夫婦に長男が誕生し、私にもやっと初孫ができた。名前は“蛍”。生まれた時は3.6kg と今時やや大きめだが、とにかく元気がよく成長も早い。3か月後の今はすでに8kgに迫る状態である。娘も母親業に懸命で今のところ病気もなく順調で、うれしい限りである。
  • 上の娘もヒョンな事で別の会社からのお誘い話が進み、この8月に10年以上勤めた外資系企業を辞め、新しい同業の会社に転職した。更にハイレベルな仕事を目指したい希望がかなったようで、これも楽しみな事である。
  • 私は相変わらず好きな書道と一万歩を継続している。前者は8年目になりそれなりの成果が出てきたようだが、後者は少しオーバーワーク気味で、マッサージの先生からペースダウンを勧告されてしまった。しかし72歳を過ぎたが体調はすこぶる良い。
  • こうしてこの夏の我が家は熱い話題で一杯だったが、真夏の暑さには参ったので、冷房を使わない代わりに避暑と花見物と夏バテ防止のおいしい料理という欲張りな目的で「利尻、礼文と北海道ガーデン街道の旅四日間」に応募した。私と娘を含む21人の団体である。
  • 初日は紋別からバスで宗谷岬へ、稚内で一泊。2日目は利尻島へ渡り、次いで礼文島へ行き、この島で一泊。3日目は稚内に戻り、バスでサロベツ原野を経由し層雲峡へ。この日の夕方から翌4日目にかけては花見物のオンパレードと言う旅程だった。紋別空港から宗谷岬までは右側にオホーツク海。左側に山林が延々と続く退屈な旅を覚悟していたが、案に相違して海側にはアザラシの遊園地や漁港、御土産店など、山側には牧場、畑が広がり牛や羊を放牧し、時には狐なども出てきた。それにベテランのバスガイドがこの風土に密着した面白い説明をしてくれるので、5時間の長旅があっと言う間に過ぎてしまった。顧客満足の真髄を見たような思いがした。宗谷岬では「ダ・カーポ」の懐かしい「宗谷の岬」の曲が流れる中「日本最北の地」の記念碑の前で記念写真をぱちぱち。オホーツク海と日本海の分水嶺でもあるこの地の海の色は真夏でも濃紺色で、沖縄の明るい緑色の海とは大違い。海水浴などとても無理な話。それでも夏は比較的海水温が高いため水蒸気が立ち上り、上空で冷やされるので雲が多く残念ながら43キロ先のサハリンは曇って見えなかった。稚内はアイヌ語で「冷たい飲み水の沢」の意。気温は東京とは5度以上低い。日露戦争後に樺太(サハリン)の南半分が日本の領土になった頃から、この地は樺太航路と漁業基地で大いに栄えたが、第二次大戦後は一転北辺の町となり落ち目になっている。とはいえ、うに、ホタテ、いくらそれにホッケなど海産物は今も豊富に取れる。
  • 翌日は早朝からフェリーで利尻島へ。天気は良いが霞がかかっているようで島影は見えない。1時間40分の船旅は退屈かと思いきや、ロシアの民族音楽グループの催しがデッキで始まり、4人の美しいスラブ系の女性とハンサムな男性が、日本語もわかる愉快なお年寄りの司会で謳って踊って100人近い観光客を大いに楽しませてくれた。日露政府間交渉は未だ難しい状況だが、民間では結構面白い交流が進んでいるなと感じた。利尻島は利尻富士(1721m)に象徴されるように「高い山の島」の意味だが、上陸しても曇って山頂は見えなかった。火山が噴火して出来た島なので周囲は丸い形をしている。原生植物以外は観光資源に乏しい。
  • 午後から礼文島へ、フェリーで40分ほど。この島は海底に出来た高台が隆起したもので名前も「沖ノ島」の意。島の形はいびつだが高山植物がこの時期咲き乱れており、別名「花の浮島」とも呼ばれる。高い山がなく空気が海水温とあまり差がないので、隣の利尻島より3度以上気温が低い。北のカナリア公園(吉永小百合主演の映画の舞台)や澄海岬、そしてウニの殻むきなどを体験して礼文ホテルへ。夕食は有名海産物だけでなく肉類や、山の幸も並んでいた。
  • 翌朝また早くから近くの桃岩展望台へ(遠くからは桃の形に見える)トレッキング。とても涼しい。途中の道には色とりどりの高山植物が咲き乱れているが、想像していた群生と言う感じはない。それは高望みなのかもしれない。
  • 再びフェリーで稚内へ2時間の船旅。この日は旭川の層雲峡まで長いバスツアーでうんざりと思ったが、さに有らず。サロベツ湿原は2005年にラムサール条約に登録された日本屈指の湿原地帯で、広い湿地にエゾカンゾウ、エゾリンドウ、などの原生植物に加え、野鳥や野生動物の宝庫でもある。下手に国土改善事業などはしてほしくない場所である。
  • 層雲峡までの道のりは、人口が道内で一番少ない村の音威子府(オトイネップ)、冬の寒さがマイナス30度を下回る名寄、羊の町として有名な士別などを経由するが、車窓は畑と森林そして牧場が延々と続く。畑はトウモロコシ、米麦など、さまざまの穀類が収穫の時期を迎えているが、またガイドの説明が細やかで、例えば食用と家畜用のトウモロコシは背の高さが違うのですぐ区別できる、乳牛は2回目の出産から搾乳し7歳ぐらいで廃牛にするなどなど、地元密着の情報多数で飽きさせない。途中「世界のめん羊館」で羊の生態を垣間見たり、上野ファームではイングリッシュガーデンの美しさに見惚れたり、宿泊地の層雲峡では奇岩の行列や銀河・隆盛の滝を見学して3日目を終えた。温泉にゆっくり浸たり気持ちよかったが、この辺はかなり気温が高い。
  • 最終日は朝から花見物である。大雪山森のガーデン、プリンスゴルフ場の風のガーデンなど、イングリッシュガーデニングの粋を尽くした美しい花々の庭に暫し見とれる至福の時を過ごした。
  • 最後の締めは夏場の観光地として一躍有名になった「美瑛・パッチワークの道と四季彩の丘」である。「実に見事」の一語に尽きる。赤、黄、緑など花の絨毯が敷き詰められているような感じである。実は3年前の6月にも「北海道の花100万本」のうたい文句に乗ってこの地を訪問したが、その時は端境期で絨毯はおろか1本の花もなくがっかりしたが、今回は十分に本を取った感じがする。
  • 春の桜は東京、夏の草花は北海道、秋の紅葉は京都。これが私のお勧めコースである。
  • 今年は春にも伊勢神宮へ西高の同期生と参拝し、その足で懸案であった熊野三宮へのお参りも実現でき、生きていてよかったと実感するこの頃である。