· 

<No.21>四国遍路一人歩き(その2)

  • 第3回目の遍路を9月6日に再開し、18日に最後の88番札所大窪寺を参拝。計46日目で結願した。その後1番札所と高野山奥の院へ報告参拝し、全ての旅を終わった。3回の区切り打ちのため半年を要したが、振り返って65の年齢でよく1200キロも歩きとおせたものだと感慨深い。
  • この四国遍路道を概観すると同地方の中央を東西に走る山脈の東側に、高い山々が密集し厳しい遍路道を形成している。なかでも徳島県内の11番藤井寺から12番焼山寺をたどる、途中700mの山を2回越えるルートは最大の難関で、初心者が腰砕けになるのは3日目のこの場所である。その4~5日後に来る各500mの鶴林寺と大竜寺を1日で超えるルートもかなり厳しい。
  • 88箇所で最高900mの山の頂上にある雲辺寺も下りがきつい。
  • 結願の88番大窪寺への途中にある770mの女体山の断崖絶壁を50m以上登る遍路道は、足腰がしっかりしていないと攻略は難しい。
  • 愛媛県には四国一の石槌山があるが、88箇所には組み込まれていない。しかし近くにある700mの横峰寺や久万高原の岩屋寺、大宝寺なども難関の1つに入るだろう。こうした山道は登山の好きな人にとっては何でもないが、そうでない人には非常に厳しい試練だろう。
  • 一方高知県や愛媛県の瀬戸内方面は平地が多く寺数も少ないので、歩くことに専念する。朝7:00から夕方5:00までを目途に2時間くらいの休憩を挟みながら、少なくとも1日30キロ、多い時は40キロも歩く。大雨、大風あるいは今秋のように猛暑の時でも休むことなく歩き続けたが、なかなか大変だ。
  • 各お寺はしばしば、到着までにわざと厳しい障害を越えて行くように設定されている。山門に到着してから更にきつい階段を何百段も上ったり、頂上にある山寺の道を登るのに、途中わざと下がってまた登るとか様々だが、こうした苦労を乗り越えて目的の寺に到着した時の喜びは何者にも代えがたいものがある。
  • そこに湧き出ている水の美味しさはまた格別だが、もし車で来た場合は普通の水となんら変わりは無くガッカリすることだろう。お遍路の間に体の悪い部分が良くなるというのも、これだけ厳しい訓練を続ければ、新陳代謝がよくなり悪い部分が体の外側に自然と洗い流されると言った感じで、結果的に健康を取り戻すことになる。更に溜まったストレスも解消されて心身ともによくなるのは本当だと思う。詰まり人間の持つ自然治癒力を、厳しいルートの克服が手助けするようになっているのだろう。 
  • 今1年に30万人もの人がお遍路に来ているそうだが、その動機は大きく分けて
  1. 身内に亡くなった人が出てその菩提を供養する。
  2. 自身の死後の極楽浄土での冥福を祈願する。
  3. 人生の転機に立って過去の反省と今後の展望を考える。
  • この3点に集約されるそうだが、歩き遍路には1.と3.が断然多く、2.は車によるお楽しみ遍路が中心で、100回以上回っている人も結構おられるようだが、歩いて100回を越える遍路には残念ながらまだお目にかかっていない。
  • 私の動機は当然1.だが、動機だけで1200キロを歩きとおせるものではない。その大変さをゴルフに例えると、45日間継続して(私の場合は3回に分けたが)、毎日コースを変え、1日2ラウンド、セルフでバッグを担ぎ、メンバーには気を使い、常にベストスコアを目指す。コースや宿泊の予約、移動、洗濯など全て自分でしかも自費で、達成しても何の報酬もないそうしたゴルフに挑戦し達成することと考えればいいだろう。
  • 常識的にはこんな事を考えるゴルフマニアはいないだろうが、もしあらゆる条件が揃ってゴルフ技術の向上を目指し挑戦し完全達成したら、技術の飛躍的な向上は勿論だが、人生観も変わってくるのではないかと思う。
  • 四国88箇所の歩き遍路を終わって私自身何が変わったかと問われても、今すぐに明確な答えは言えないが、この年齢ですごい事を自力で達成できたという満足感はある。それは亡き妻が後押ししてくれたとしか思えない。
  •  妻連れて鈴の音さみし遍路道  合掌。