· 

<No.65>「探求科」誕生で下関西高は復活するか!

下関西高卒業57年で大きく変わったこと

  • 毎年7月末に母校の旭陵同窓会東京支部の総会が開催されている。私は昭和36年卒の東京同期会の会長をしていることもあって50歳で当会の当番幹事を担った頃から毎年参加してきたが、卒業した57年前と大きく変わった事がたくさんある。
  • まず校舎が全く新しくなったこと。建て替わってからもすでにかなりの年月がたっている。2年後の2019年に創立100周年を迎える予定だが、校門の位置が異なるなど我々の学んだ頃の校舎の面影は全くない。何となくさびしい気もするが、時代の流れを先取りするような素晴らしい校舎が有ることは誇らしい。そして100周年の記念事業としてセミナーハウス(名称―旭陵館)を1億4千万円で建設する予定とか。関係者の話では寄付金が思うように集まらないと嘆いておられた。
  • ついでに我々の時代には校歌が無く学生歌で代替していたが、卒業後間もなく正式の校歌ができた。総会は下関中学校時代の校歌と学生歌と正式のものと3曲歌ってお開きになる。
  • 次に我々の在校時に下関西校は男子校、南校は女子校と分かれていたが(実際には同期に7人の女生徒がいたが)男女平等の流れに逆らえず20数年前に女生徒にも門戸を開放し(山口県は全国都道府県でラスト2番目まで男子校、女子校が存続したそうだ)、今では1学年の男女の比率が6:4 140人:100人 計240人の生徒が入学している。そのため偶に総会に顔を出す人は、女性出席者の多さに面喰って場所を間違えたのではと思う人もいるとか。
  • その後下関南校も男生徒解禁となり近年はかなりの男子入学者がいるとのこと。そのうち甲子園に下関南校の校歌が流れる日が来るかもしれない。ついでにあの梅光女学園も女学園ではなく梅光学園と改名したそうである。
  • 3番目は入学する中学校生徒の構成の大幅な変化だ。昔は旧制1,2、3中の日新、文洋、名陵、更には彦島中学校が多くを占めていたが、下関市の人口が嘗ての旧市内からドーナツ現象で新市街へ広がり、特に新幹線の新下関駅が「一宮」に誕生して以降その現象が加速されて、中学校も旧制3中の生徒数が激減し閉校の話もうわさされているとか。替わって川中や山の田、安岡などの中学校が中核を占めているらしい。私の母校の名陵中は在校時に1学年12クラスで660人くらいの同級生がいたが、今はわずかに40人ほどに激減している。
  • そして4番目は大学進学のレベルが昔よりかなり下がっているように見えることだ。戦後特に高度成長期以降教育の充実が重視されてきた。中でも進路指導において偏差値指導が深く根を下ろし中学校、高等学校、大学そして就職先から結婚に至るまでこの数値による学校の格付け評価が定着し、今では生まれた時から過酷な受験戦争に巻き込まれる羽目に陥っている。
  • これは日本だけでなくお隣の中国や韓国、東南アジアの国々も同じで、更に苛烈を極めていると言われる。もちろん人間が多方面にわたり勉強し、より豊かな知識を身に付け、ゆとりのある生活を生み出すことに問題がある訳ではないが、一人ひとりが目指す、あるいは国々が目指す方向性がバラバラでは据え恐ろしい結果を招くことにもなりかねない。
  • 偏差値教育は高度成長期の高等教育を受けた人材の需要拡大に対応して一定の成果を上げた事は否定できない。日本が戦後の廃墟から欧米先進国に追いつき追い越せと頑張ったことで、一時アメリカに次ぐ世界2位の、そして西ヨーロッパ全体にも匹敵するGDPを生み出した事はまだ記憶にも新しい。しかし先進諸国に追いついた後は真似する時代が終わり、自ら独創性のある技術知識を身につけねばならなくなった。当然教育の在り方も仕組みも見直さねばならない。すでに30年前から上記の国々や、共産主義を放棄した旧東側諸国が世界市場に参入し、また中東の石油資源国、そしてBRICS諸国も人口大国パワーと経済発展で世界を揺るがせている。
  • 日本はバブル崩壊以降の失われた20数年間、経済は停滞し物価も低迷、企業は為替の円高を嫌って海外に拠点を移し、人口は少子高齢化で構成が逆三角形となり、社会保障費はウナギ上りに増え、国の借金は1000兆円を超え未だに増え続けている。
  • こうした多くの問題を解消し子供や孫の世代に財産を残す大切な手段として、教育が重要な要素であることは言をまたない。これは古今東西を通じての真実と言っても過言ではない。

日本の教育問題を考える

  • ここで少し教育問題について私の経験を振り返ってみたい。私は高校を卒業して就職するつもりだったが、3年の夏に書道の牧先生に大学受験を強く勧められて、就職するのを大学卒業まで延期し受験勉強に本気で取り組んだ。時間切れかもしれないと思ったが、無事合格した。大学で学資稼ぎに家庭教師を数人やったが、本人がやる気になった生徒が最も伸びた。
  • 卒業して東洋高圧という化学肥料の会社に就職したが、たまたま工場が彦島にあって親しみを感じたからである。当時は三白景気の名残で高い給料と賞与が支給されていたが、高卒と大卒を峻別する制度には愕然とした。高卒で優れた人材も多く存在したし、大卒でも逆の人がかなりいたがどうしようもなかった。
  • その後世界の石油化学化の波に遅ればせながら参入するため旧三井化学と合併した。これから運命が暗転し、合併会社の人間関係の難しさなど悲劇を散々経験したが、仕事を進めていくなかで大事な決断は会社より自分の属するグループそして究極には自分の損得が最優先であることを
  • 痛感させられた。それでも会社として幹部育成教育を着実に実行する仕組みは、日本のメーカーには見習うべきものが有ると感じている。
  • その後遅ればせながら結婚し、子供も2人できたが妻の親からの強い要請で築地市場の卸売会社に転身した。この職場は偏差値から見ると前者とは「月とスッポン」の差があるが、市場業務への個々人の愛着は非常に強く誇りも持っている。市場業務に関係する多くの会社のなかでも卸売会社で上場しているものが4社有る以外は当社を含めほとんど中小零細だが、仕事は先輩たちの見よう見まねで教える方も教わる人も真剣そのものである。
  • 市場でセリを行うには開設者の実施するセリ人試験に合格せねばならない。これは何百条にも及ぶ卸売市場法及び細則を勉強し、5択の試験と論文をパスせねばならないので、会社で3ヶ月くらい前から受験勉強を実施する。この時の講師の教え方を見ると、法律の背景や内容をよく知っている講師より、生徒に積極的に問いかけて答えを導き出す講師の方が合格率は遥かに高い。つまり答えを教えるより自ら考えさせることの方が遥かに効果的であると言うことだ。これは子育てでも同じで親が1から10まで指図して子供に何も考えさせないやり方では、知識はたくさん覚えても思考力、判断力、決断力等大人になって必要な事柄が全く身につかない。
  • 子は親を見て育つものだから、このようにして育った子供は親の生活習慣を真似して日和見で、いじめや暴力にはいじめる側に付くか見て見ぬふり、権利だけを主張し、義務は果たそうとしない大人に育ってしまう。

学歴偏重教育の卒業。新設された「探求科」に期待。「堀川高校の奇跡」

  • 今のように学歴偏重の社会ではこうした弊害は打破できない。では先に述べてきた私の経験や現実社会のこうした問題をどう解決すべなのか。実はこの事で母校の新任校長が総会挨拶で初めて口にした言葉が「探求科」の新設であり、卒業生に大いに期待して欲しいとのことであった。
  • これは約20年前にスタートした京都市立高校の「堀川の奇跡」に端を発している。実は更にその前の1995年にオウム真理教が引き起こした「地下鉄サリン事件」が契機になったと言う。時の京都市教育長の門川大作氏は、この事件を実行した犯人がいずれも高学歴の大学卒であった事に大いに疑問を抱き、教育の歪んだ実態を正し、子供の好奇心を正しく育て自らの進路を自ら考え実行させたいと考え、その方針を当時の市立堀川高校の荒瀬校長(現大谷大学教授)を中心に具体化したものである。
  • とりあえず堀川高校の大学進学状況の変化をみると、
    • 2001年 国公立大0人 京大0人 東大0人  
      (探求科を履修した生徒が卒業する前年)
    • 2002年 国公立大106人 京大6人  東大0人   
      (探求科を履修した生徒が初めて卒業した年)
    • 2006年 国公立大128人 京大27人 東大3人     
      (探求科を履修した生徒が卒業5年目)
    • 2015年 国公立大107人 京大32人 東大5人   
      (最近の実績)
  • 1年間で進学状況がこれほど激変した学校は極めてまれである。しかもその後この状況は上ブレ傾向にあると言うから恐れ入る。一体何が公立の堀川高校をこれほど変えたのか。
  • 一言で言えば上述のように生徒の自主性、好奇心を尊重しサポートする体制を学校、家庭、地域社会全体で構築したこと。そして以降も日々改善を加えている状況がうかがえる。
  • 通常の授業や課外活動は他校と変わらないが、ユニークなのは「探求科」の生徒は入学して1年半の間に自分の興味あるテーマ(身の回りの問題から宇宙の果てを考えるテーマ等様々)を見つけるための勉強や、書物インターネットなどで知識を吸収する傍ら地域社会の工場を見学したり、興味ある実験の方法を自ら考える、こうした行動に教師は助言をするのみ、時には京都大学の現役院生を訪問して助言や手伝いもしてもらう。
  • こうした貴重な経験を重ねながら自らの進路を自ら決定し1年半後に皆の前で発表する。そこには大学の偏差値や将来の就職の損得勘定等に重きは置かれない、つまり自分が興味を持ち自分で決めた将来は自己責任ということで、それからの1年半は勉学だけでなく課外活動にも一段と力が入り、運動会や芸術祭はもちろん海外修学旅行の立案交渉実施も全て生徒の自主性に任せて運営しているそうである。
  • その結果現代社会で依然高い評価を得ている知識偏重の頭でっかちの秀才ではなく、バランス感覚があり、創造性豊かで判断力、決断力、危機管理能力などに長けた人材が育っているそうである。上記の進学状況の激変は目指したものではなくこうした教育方法の転換による結果であり、大事なのは個人の興味や自主性を最大限生かす教育である。
  • こうした効果が周辺の公立高校や私学にも影響を与え、京都府全体のレベルも上昇しているだけでなく、全国の高校からすでに1000人を超える視察者が堀川高校を訪問し、その経験を生かしてそれぞれに新しい試みが始まっているそうである。
  • 始めは4人の教師の学校改革からスタートし、改革の過激さに他の教師や保護者から猛烈な抵抗があったようだが、市教育委員会などを巻き込み何とか改革を実現した。こうした体制を作れば自然に生徒たちは力を発揮するようになり、従来の偏差値教育は一掃され、その結果これからの社会の仕組みにも大きな変革が生まれてくるだろう。

理解力、独創性、グローバル化への対応力を育む教育へ

  • ところで先般慶応大学の教授から現在の大学教育の実情をうかがったが、我々の時代とは違い、近年は文科省の指示で学生が授業を真面目に受けるように、教官の指導の内容や学生の授業の出席率などが大変厳しくなっている。これには海外各国の教育レベルの向上と激しい追い上げが背景にあるようだが、学費は親の仕送りや税金、奨学金などで賄われているので、その費用対効果を考えると文科省の指導方針も理解できないではない。しかし、高校生の時に大学入試勉強で疲れ切った頭を休め、大人への過渡期を自分なりに考え行動する大切な時期に、国や学校が望ましい人間作りを更に助長することがほんとに正しい教育なのか。大人として相応しい体力、技能知識、モラル等を身につける最終段階が大学教育ではないのか。
  • 文科省はすでに大学入試の抜本改革を検討しており2020年に導入を予定している。それは今までの知識偏重、暗記もの重視から、理解力や独創性、グローバル化への対応能力等を重視する考えだと言われる。知識はインターネットで瞬時に答えが得られる時代となり、それに基づく偏差値教育はいずれ下火となり、上記のような望ましい入試、教育が始まることを期待したい。
  • ここで母校下関西高の話に戻そう。上記堀川高校の教育改革は(詳細は下記資料参照)
    http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5134
  • 当初はほんの一部の教育者によりスタートしたわけだが、最終的に地域社会の大きな支持を受けて実現した。京都には昔からお上の支援を受けた事はなく町づくりや大きな行事は町衆が中心になって運営してきた自負があるそうである。
  • では母校を取りまく社会にそんな意識はあるのか。昨年の総会で近年の進学状況があまりにも酷い(東大、京大は毎年合計1~3人、九大14~15人)ので関係者に話を聞いたところ、女生徒が多くなったので男生徒の親が北九州の雄、小倉高校への進学を勧めていると言う。事実とすれば女性蔑視も甚だしい。首都圏や大都市の教育問題に対する「空気」とは大きな違いがあるようだ。
  • 150年前に明治維新の一方の旗頭となった長州が、経済力の低下や人口減少に何ら対応できず、ずるずる衰退しているのはさびしいが、親や地域社会そして学校関係者が本気で教育改革に取り組まないと「探求科」の新設も絵に描いた餅になってしまう。幸い新任校長は今年から始まった探求科(男子40人、女子40人、詳細は下記資料参照)の将来に自信を持っておられるので、我々も大いに期待しよう。
    http://www.shimonishi-h.ysn21.jp/kyouikunaiyo-z.html
  • 山口県では当校と宇部高校のみが指定されたそうである。2020年の卒業時にどんな進学結果が出てくるのか。オリンピックと合わせ大いに楽しみである。