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<No.57>日本国憲法について

日本国憲法第9条の解釈見直しについて

  • 去年の通常国会は日本国憲法第9条 戦争放棄の解釈見直しと、これに伴う11本の法案審議で3カ月も会期を延長すると言う異例の国会だったが、結局与党の周到な準備が奏功して集団的自衛権の行使が可能となる法案が成立した。
  • 当初こうした憲法解釈の変更は、戦前の軍部による既成事実の積み上げで憲法解釈が変更され、日中戦争から太平洋戦争へと拡大していった暗い歴史を連想させて納得できなかったし、野党の反対や国民への主旨の説明不足に加え、国会周辺での反対運動も盛り上がったが、結局最後はお決まりの茶番劇で成立した。
  • さりとてこの法案が野党の言うように「日本を戦争へ導く悪法」と決めつけるのも問題がある。戦後70年間我が国が曲がりなりにも平和を維持できたのは、戦争放棄の日本国憲法に守られてきたからという主張にかなり説得力があるようだが、よく聞いてみると国家の安全保障と言う要素があまり考慮されていない。
  • 第二次大戦後は米ソを核とした東西冷戦が約40年続き、結局西側資本主義陣営の勝利に終わったが、その後も世界各地域で戦争やテロ行為等が原因の如何を問わず頻発している。歴史に「もし・・」は無いが、あえてもし1960年代の日米安保反対運動が勝利して、日本が全方位外交と言う事を本当に実行していたら、現在の日本は冷戦の狭間で朝鮮半島やベトナムのように悲惨な状態になっていたと思われる。
  • 日本が戦後高度経済成長を遂げ先進国の一員に復活出来たのは、国民の努力もさることながら、もし自前で国防を実行すれば更に年間何兆円もかかる膨大な軍事費を、アメリカの核の傘で守られて来た事が本当は大きな要因であることを認識すべきであろう。
  • 日本が戦後ずっと戦争を反省し、経済の復興発展と平和活動を世界的に繰り広げてきたことは事実だが、それを世界が素直に理解してくれるかとなると甚だ難しい。我が国を取り巻く東アジアでも北朝鮮の核兵器所有、中国の急速な経済発展による軍事費の膨張やシナ海への一方的な進出など、日本の安全を危機に陥れる状況変化が急速に膨らんできた事が、憲法解釈の見直しや集団的自衛権の容認などの問題を引き起こしたと言えよう。
  • 今回の憲法解釈見直し反対闘争は久しぶりに盛り上がりを見せたが、本当に大事なのはこのエネルギーを持続的に維持していくことである。しかし懸念された内閣支持率は早くも不支持を逆転し安定多数に戻りそうな勢いであり、一方の野党は維新の会が分裂し、民主党も共産党との共闘問題など主導権争いで分裂含み。1人共産党だけが気を吐いている。2大政党政治を目指した小選挙区制度とは裏腹に、自民党の相手は支持政党なしの声なき声の集団となってしまった。3年間続いた民主党政権の無力さを2度と見たくない民意の表れなのだろうか。

日本人自身の憲法とは

  • ところで日本国憲法はアメリカに押し付けられた憲法と言われて久しいが、戦争放棄以外にも先進国にふさわしい条項もふんだんに入っている。三権分立制、国民主権、基本的人権の尊重、国民の義務等。三権分立は国家の仕組みの問題で、戦前の天皇制下の軍部独裁とは様変わりし、司法、行政、立法の3権が鼎立。行政が大きな力を持ってはいるが他の2権もそれなりに機能しているようだ。次の国民主権は明治憲法の天皇主権の考えとは180度異なる国民尊重の画期的な条項である。こんなことは大和朝廷と言う日本国が成立して以来今日まで無かった事で、国民としては大いに感謝すべき規定だが、公務員が国民の公僕であるという項目は今の縦割り行政で1万件以上の許可権限を持つ官僚の権力構造を考えると、実際は絵に描いた餅に近い。
  • 基本的人権の尊重及び国民の義務については生活する上で最も身近な規定だが、これも戦前の国民は天皇の僕という規定や、江戸時代の士農工商制度、更には公地公民制度等人権より国家への納税の手段としてしか扱われなかった国民としては涙が止まらないほどうれしい条項である。
  • しかしこれらの規定は戦後の70年間で本当に国民に定着してきたであろうか。例えば、明治31年以降、家制度が成立し結婚は主として女性が男性の家に嫁ぎ、家事育児に専念すると言うパターンが中心だったが、新憲法では両性の合意に基づき結婚し新たに家庭を築くと言うことで、嫁を貰うとか、婿取りをするという言葉は死語になっているはずだが、未だに我々の日常会話では平然と使われている。
  • 男女同権の規定は安倍内閣でも肝いりの政策推進課題で、制度的にはかなり進んできた。しかし例えば夫婦別姓を拒絶する民法の規定の是非についての裁判で、最高裁は先日「違憲とはいえない」との判決を出した。理由は家族の一体感が失われる、制度は社会に定着している、改姓による不利益は通称を認めるところも増えて解消されつつあるなど。これは15人の裁判官中10人の男性が合憲、女性全3人と男性2人が違憲の結果である。またNHK調査では50歳代までの若い世代はいずれも70%近くが違憲、60代は五分五分、70代以上は逆に70%が合憲と答えている。
  • 一方世界では先進国だけでなく新興国においても夫婦別姓がほとんど公認されており、日本は国連女性差別撤廃委員会からこの制度を認めるよう再三勧告されて、2月にも3回目の審査が行われる由。グローバル化が多方面で進展する今日の日本でこの事実を大人たちはどう考えるのか。「井の中の蛙、大海を知らず」の諺そのもののように思える。
  • 日本の現状は離婚が3分の1強、家庭内離婚を含めれば3分の2が実質離婚と言われるが原因は夫婦別姓問題とは無関係で、昔の男性優遇社会への郷愁と高度成長期に再構築した既得権を守ろうとする高齢男性の女性に対する無理解がこの結果をもたらしている。別姓がいやなら同姓を選べば済む話で、この問題は女性蔑視、社会制度の不合理性を問われているのだ。
  • 最高裁は判決の中で、この問題は社会の状況を見ながら国会でもっと議論し結論を出すようにとも言っている。少子高齢化が進み女性の社会進出が期待される今日では、生活にそぐわなくなった制度や人の考え方も改革が必要だが、以前の国会審議で夫婦別姓を自民党議員から猛烈に批判されつぶされた事を思うと、すんなり認められるか前途多難である。
  • ついでに身近な問題。かなり前から家庭用のトイレは便器に座って用を足す水洗様式が普及してきたが、男性が小用の時に立ってするか座ってするかについて先日NHKの放送があった。それによると前者ではしぶきが八方に飛散して便器のみならず周りの床や壁が非常に汚れて掃除に手間がかかる。奥様方が男性に座ってするようにいくら言っても聞かない、特に年配者に多いそうで、私もその1人だったが、この放送を見て後座ってするように改めた。合理的だと思ったからだ。娘から感謝されて気恥ずかしい感じがした。
  • 親しい男性10人くらいに話をしたら半分くらいはこれからも頑強に立ちションを継続するとのこと。めんどうくさい、男の沽券に拘わるなど身勝手な理由で、掃除する人への思いやりなど一かけらもない。だからこれが離婚状を突き付けられる理由の一つになっていることも理解できないのだろう。
  • こうした現実を直視して日本国憲法を読むと、日本国民は本当に素晴らし内容の憲法を、今後も守っていきたいと言う気持ちがあるのか疑問の念を禁じ得ない。戦争放棄だけが至宝の憲法だと思うのは間違いで、アメリカから与えられた憲法でも理想的な内容をちりばめている条項を熟読玩味して、自分たちの生活に定着させる努力をしないとせっかくの憲法が台無しになってしまう。それともやはり日本国憲法は「日本人にはもったいない憲法」なのだろうか。