<No.43>今年は宇宙の話題の当たり年(前編)

  • 近年科学技術の著しい発展で宇宙の分野でも新しい情報、知識が広まって来た。我々が子供の時代には、中世までの天動説から地動説への転換が定着し、太陽系も天の川銀河(銀河系)の一部であり、また夜空に輝く星々もそれぞれ一固まりの巨大な銀河である事が解明された程度だったと思う
  • しかし今では銀河系には2000億個の恒星があり、銀河の数は1000億個、それが泡の状態に広がっている(宇宙の大規模構造)事までわかってきた。
  • 一方宇宙は無から生まれ、インフレーションで10のマイナス何十乗秒の間に信じがたいほど急膨張し、続くビッグバンで多くの物質が誕生し星が生まれ、現在再び加速度的に膨張しているという。宇宙で我々の目に見える星々の質量はせいぜい4%で、他に目には見えない物質(ダークマター)が23%、更には宇宙を膨張させている何かわからないエネルギー(ダークエネルギー)が73%などと、ガリレオの時代なら「神を冒涜する」という理由で処刑確実な仮説が次々に発表されてきた。
  • しかし科学と宗教で根本的に違うのは、前者は実験や観測の積み重ねにより何年か後に事実を検証できたり、実験結果を積み上げて仮説を事実と認識しても良いほどの裏付けを行うのに対し、後者は「信じる者は救われる」と教えを一方的に信じ込む点である。
  • 今年は宇宙に関する多くの話題がメディアをにぎわせたが、そのうち特に関心の高かった金環日食出現、火星探査機キュリオシティの成功、更にはヒッグス粒子の発見を取り上げてみよう。

その1:金環日食出現

  • 今年の5月21日に起こったこの天体ショーを、多くの日本人が日食グラスを通して観たことと思う。太陽が欠け始めて金環状態になりそして本の状態に戻るまでの3時間ばかり、特にクライマックスの4~5分は見た人達に天体の神秘を深く印象付けたと思われる。
  • 私も曇りがちの東京の空を見上げていたが、幸い雲間から黄金のリングが見えた時は狂気、し食い入るように眺めたものだ。まるで婚約指輪が天にかかっているようだった。
  • 九州、四国、本州の南側を横断する大規模な日食は932年ぶりだそうで、いい冥土の土産になった。
  • 同じ日食でもなぜ皆既日食と金環日食の違いができるのか疑問に思っていたが、地球を回る月の軌道が完全な円ではなくやや楕円になっているので、月が地球に近い時に太陽光を遮る時は皆既日食となり、遠い時にそうなれば金環日食となるそうだ。
  • 太陽の直径が月のそれの400倍に対し、地球からの距離が太陽は月の400倍あるので皆既日食と言う現象が起きるが、月は100年に約3mずつ地球から離れているらしいので、遠い将来には金環日食しか見られなくなる。その意味では実に適切な時代に生まれてきたものだと思う。
  • 話は変わるが、天体観測技術の進歩や知識の集積で、日食についても過去、未来に起きる日時や場所が正確に断定、予測できるようになったそうだ。西暦247年にも皆既日食があり、しかも太陽が欠けながら沈んで行ったそうである。そして翌年に今度は黒い太陽が東から上がり次第に明るくなったとのこと。
  • 皆既日食のまま沈んだ年は邪馬台国の卑弥呼が亡くなった年である。卑弥呼は「鬼道で衆を惑わす」といわれ、当時の稲作中心の社会では、年間の暦を熟知し占いで臣民を指導する能力を持った女王の存在感は大きかっただろうが、そのバックボーンである太陽が欠けながら沈んだということは、卑弥呼の力の限界を露呈したと思われたのだろう。だから自殺か他殺か知らないが、この年に死んだ事は間違いないと思われる。
  • その後男王が継承したがうまくいかず、再び臺与が女王になって国が治まったと歴史書にあるが、この一連の話は天照皇大神の「天岩戸隠れ」の神話とそっくりだと思い調べてみたら、やはり天照神はもともと風光明媚な伊勢地方の太陽崇拝の神に過ぎなかったようだ。
  • 大和政権(天皇家)が西暦300年前後から全国統一を進め、更に朝鮮半島や中国とも交流を広げる中で、大和政権の正統性を海外にも認知させるために、東アジアや遊牧民族の国造り神話を参考に、天地開闢以来の神話を造り上げ、天皇家の正当性をアピールしたのが「古事記」であり「日本書記」であろう。
  • もともと 古代国家の時代は天下を統べる神と言う観念はそれほど大きくなかったようだが、それでもタカミムスヒと言う外来神が一応その役割を担っていた。しかし海外との接触が深まるにつれて次第に国産の天下統一神、天皇家の皇祖神の役割を持つ神が必要になり、太陽のように明るい性格の天照がそれを担う事になったという説が一番納得できる。それなら高天原や天孫降臨神話も天皇家の権威の正当性を裏付けるための架空話だろう。
  • 関連する話だが、近年大和地方の「巻向遺跡」の発掘でこの場所に卑弥呼の宮殿があり、また近くの「箸墓古墳」は卑弥呼の墓だという説が有力になりつつある。
  • 更に「邪馬台」の発音は古い中国では「やまど」と「やまと」の中間の音で「やまたい」と読むのは「台」を現代音の「たい」と勝手に宛てた読み方で、それは誤りだと言う研究結果も出ている。
  • もう一つ「魏志倭人伝」に記載されている邪馬台国の場所の事だが、そのまま読めば、沖縄より更に東の沖あたりになるので記載ミスとの説が有力で、読み方次第で幾通りにも解釈でき混乱の種となってきた。
  • これに対し、最近その記載内容は正しい見解で、三国時代の「魏」が中国の南東を支配する「呉」を東方から牽制するための方便のために書いたという説が出てきた。
  • それは同じく南西を支配する「蜀」を牽制するために、今のアフガニスタン付近を支配していたクシャーナ朝と同盟を結んでいた事と同じ発想だと言う。
  • 上記の事から類推すると、邪馬台国は大和の地にありそれが天皇家の基礎となり、次第に全国統一を進めていったが、天照はその過程で最高神、皇祖神に祭り上げられたというのが歴史の真実に近いようだ。
  • 話が日食からそれ過ぎてしまったが、日本人としてぜひとも結論を得たいテーマではある。