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<No.39>私の歴史観

歴史から学ぶ

  • 「歴史は現在と過去との対話である」とか、「歴史は観る人によりそれぞれの歴史がある」と言われる。我々が学校で学んだ歴史は戦後の欧米民主主義思想に根差した歴史観で書かれており、その新しい価値観で育った私には大した違和感はなかったが、戦後が過去のものとなり再び日本が経済的に世界に覇を唱えた始めた頃から、世界史や日本史の書き方に疑問に思う事柄が増えてきた。
  • 例えば「古代ローマ帝国のパックスロマーナ」とか「コロンブスのアメリカ大陸発見」など聞こえはいいが、侵略された方からすればそんな誇り高い事柄であるどころか、悪夢のような出来事だろう。
  • 日本史の中にもそんな例は戦国時代に限らずあらゆる時代に存在する。今年の大河ドラマの主人公平清盛は悪人と言う評価する人が多いが、彼の事績を詳しく見れば必ずしもそうとは言えない。というより当時の貴族に虐げられていた百姓の代表である武士が、世の中を支配する時代をもたらす先駆者であり、国内の開発事業にも相当尽力した人である。
  • また豊臣秀吉が信長の後を継いで戦国時代を統一し、しかも足軽から成りあがった事で豊国大明神と高く評価されているが、主君の信長には4人の後継者がいたにも拘わらず、いつの間にか自分が頂点を極めたのは、相当の権謀術策を使って達成した事だが、これはあまり表沙汰にはなっていない。勝てば官軍とは明治維新の薩長軍だけに与えられた呼び名とはとても言えないようだ。
  • しかし私も若い頃化学会社や築地市場で働いていたが、客や上司を説得したり同業者に勝つために、日本や中国の歴史書を読んで大いに参考になった。今でもあらゆる分野の人々が好んで歴史書を読むのは、その中に現実の困難を克服するヒントが隠されていたり、時代の大局観や時勢を読みとる指針が示されているからであろう。そういう意味で歴史は現在を読み解くばかりでなく、将来を見通すための多くの教材が眠っている宝の山である。

歴史の真実とは?

  • ところで正式に残っている歴史は主として勝った側の書いたものが多く、負けたものの主張はほとんど表には出て来ない。しかしこれを丹念に調べて埋もれている人たちの再評価をすることも歴史を学ぶ上での大事な視点であろう。
  • 例えば宮城谷昌光は中国の古代史を若い頃から綿密に調べ、殷周時代から春秋戦国にかけての情勢や人物評価を分かりやすく展開している。また「司馬史観」という言葉もできた司馬遼太郎も日本の歴史上に残る有名無名の英雄や偉人を日本人に紹介してきた。「坂本竜馬」など嘗てはそれほど有名ではなかったが、今や彼を日本で最も魅力ある人物に仕立て上げた功労者であろう。
  • NHKが昨年末まで3年がかりで放送してきた司馬氏の力作「坂の上の雲」は、私も著書の発行間もなく読み大いに感銘を受けた。明治維新を経て先進国に仲間入りしようと苦闘する日本国民の、厳しくも清々しい生き様が秋山兄弟と友人の正岡子規を中心に描かれており、平成の今でも多くの日本人の共感を得るものと思われる。
  • 但しこの中で乃木将軍の事を無能の指揮官とこき下ろしているが、私の郷土の先輩であり、日露戦争で敗れた相手が高く評価しているのに、あまりにも評価が違うので気になってはいた。そんな時ふとした縁で直木賞作家の古川薫氏の「斜陽に立つ」を読む機会に恵まれた。これによれば非難の的になっている問題の203高地攻略に、乃木将軍が無謀とも思える人海作戦を展開し多くの死傷者を出しながら攻略できなかったが、後輩の児玉源太郎に代わって短期間に攻略できたその理由が書かれている。
  • それによると、乃木が指揮していた時には砲弾が明らかに不足しており、追加要請を繰り返し行っているにも拘わらず、陸軍参謀本部が応じなかった。又「28サンチ榴弾砲」を「送るに及ばず」と陸軍参謀長岡の日記に書いてあるが、陸軍の正史である「機密日露戦史」には「到着を待ち能わざるも今後のために送られたし」と正しく書きとめられている。203高地攻略は日本海海戦勝利の必須条件だからこの状況からは「肉弾戦」を選択するしか方法がなかったということだ。
  • 児玉は赴任の時に榴弾砲と砲弾多数を一緒に持ってきた。だから203高地を短期間に攻略し、次いで旅順軍港をせん滅できた。したがって日本海海戦も後顧の憂い無く戦えた。これがおそらく真相だろう。しかし司馬氏と古川氏では人気の度合いに差があり過ぎ、乃木将軍の評価は簡単には変わらないだろう。
  • ついでに毎年12月におなじみの「忠臣蔵」。これも世の中では芝居の「仮名手本忠臣蔵」と歴史上の「赤穂浪士事件」とが混同されて、何の罪もない吉良上野介義央が悪役にされてきた。最近少しずつ真相が明らかにされているが、井沢元彦氏などが著述しているように吉良は高家と言う立場で、朝廷の勅使が新年の挨拶に来るのを接待する幕府の責任者であり、しかもこの年は将軍綱吉の生母桂昌院に幕府の女性で最高の正二位を受ける工作を任されていた。だから万全を期して一度饗応役の経験がある浅野内匠頭長矩を抜擢したのだ。だからまいないが少ないからと内匠頭を苛め抜いて、もし粗相が起きたらそれこそ自分の首が飛ぶ可能性が高いのに、わざわざそんなバカな事をするはずがない。
  • 刃傷事件はそんな問題ではなく、内匠頭が緊張感でストレスがたまり癲癇のような症状になり、思わずイライラの対象の上野介に後ろから切りつけた(いわゆる 殿ご乱心)というのが真相らしい。実は内匠頭の叔父に当たる人も、この事件の何年か前にやはり殿中で刃傷沙汰を起こしている事など傍証も色々ある。
  • これがなければ赤穂浪士事件そのものが存在しないし、当然芝居の「忠臣蔵」も書きようがなかったはずだ。この見方からすると「忠臣蔵」の評価は全く違ってくる。もし芝居のために脚色した事柄を取り除いて、真実だけを基にした「真説忠臣蔵」を制作上映したらさぞかし面白いだろう。少なくとも吉良上野介の評判は地元の人達がいうように良くなるだろうし、逆に浅野内匠頭は家来や一族郎党をどん底に突き落としたバカ殿様となるだろう。また47人の赤穂浪士の評価も議論が大きく分かれるのではないか。

歴史を後世に残すには

  • 話は少し変わるが昨年日本は未曾有の大震災大津波に見舞われた。しかしよく調べてみるとこの規模のものでも1000年に一度くらいは同じ地域で起きているし、少し小さいものなら100年に一度よりも頻繁に起き、その都度大きな被害をこうむってきた。
  • これは東日本だけの事ではなく太平洋側全体、と言うより環太平洋地域で何時でもこの規模の地震が起きてもおかしくないという事を、地球表面のプレート移動と言う仮説について科学的に調査を重ねてきた結果、近年プレート境界型地震として認識されるようになった。
  • 一方地球規模でみると空からは毎日宇宙のゴミが100トン前後降り注いでいるし、地質や化石を調べた結果過去には直径1Kmもある小天体が降ってきて生物はほとんど死滅したという事実も何回かあるし、こうした事はこれからも必ず起きる現象だと言われている。
  • 他方自然の脅威もさることながら、人間は自らの努力の結果原子力エネルギーという途方もないものを手に入れてしまった。これは原爆のように使い方によっては全生物を滅亡させる危険を孕んでいるが、文明社会には不可欠の安価な電気エネルギーの供給と言う点では有益な資源である。福島第一原発事故は大津波が原因であるとはいえ、その放射線被害は長期にわたって続く。しかしだからといって原発はすべて即時ストップしろと言うのは暴論ではないか。
  • 人の死ぬ事が最大の被害と考えるなら、戦争やテロさらに内戦や強盗殺人など人類自身が原因の人の死は枚挙にいとまがない。原子爆弾は大量破壊兵器だからすぐにでも製造、開発、保有は止めてほしいが。原発は電気を最も安価に供給できる手段であり、今回のような事故の補償費用を相当織り込んでも将来的にやはり1番安い事に変わりない。いずれは太陽光や風力、地熱発電などに移行せねばならないにしても、経済効果を度外視した施策は平和に暮らす事を前提とした社会では早晩行きづまる。
  • 有史以来人間は経済発展のさまざまな過程でこうした災害や苦難を乗り越え、今日の文明社会を築いてきた。それには多くの犠牲の積み重ねがある。この事実を肯定しなお今の生活を継続したいのであれば、今回の事故を多面的に十分な検証を行い、少なくとも同じ規模の地震や津波が発生しても十分な対応ができるような知識経験を後世に確かに残す事こそ、この悲惨な事故を貴重な歴史として将来に生かす道ではないだろうか。
  • 今の政治のように責任の所在を追求するだけでは歴史として何も残らないし、時間が過ぎれば又同じ過ちを繰り返す事になるのではないか。それでは亡くなった人達は浮かばれない。